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カタツムリのその後

2013/06/03 Mon 22:33

旬を食べるのエントリーに出て来た天敵カタツムリ。そんなカタツムリ君はその後、自分の命に代えて(?)、私の生活に思いがけない幸福をもたらしてくれた。

戦いに負け続け、ついにバジルの苗を丸ごと食べられた朝、私はがまんできなくなって、朝出かけ際に遭遇した同じアパートに住むご近所さんにカタツムリ対策について聞いた。
いままで一回も話したこともないし、名前も知らなかったが、もう私は藁にもすがる思いだった。

ちょうど庭の花の手入れをしていたご近所さんは、ちょっと驚きつつも丁寧に自分がやってるカタツムリ対策を説明してくれた。ネットで調べた通りだなあ、と心の中で思いつつ、実際に試してみるか、と思い始めたその日の夕方。家に帰ってみるとドアの下に手紙が差し込まれている。
開けてみると、それは朝話しかけたご近所さんからのものだった。


A室に住むご近所さんへ

カタツムリの対策に私はSLUGGOという固形の薬剤を使っています。(以下SLUGGOの詳細)
たくさん持っているので分けてあげますよ。週末は大抵家にいるか庭仕事をしています。

追伸:昔、野菜を育ててみたいと言っていましたね。良かったら、花の植木鉢をどかして、日当りの良い場所を作りましょうか?

D室 B.(名前省略)




2013年のシリコンバレーのど真ん中。手紙文化もご近所付き合い文化も廃れつつあるこの地域でこの親切さ(!!)。(しかも私は挨拶したことも忘れていたのに、引っ越し挨拶の会話を覚えている!!)
驚いた。
そして、目に見えないプレッシャーを感じた。

確かに野菜を育てることには興味はあった。でもわからないことだらけで圧倒されていた。タネをまいても雑草と本物の苗の区別がつかない。肥料は必要なのか、水やりはどれくらいするのか、日照時間は足りているのか、、、わからないことだらけで、しかも成果が見えるのは数ヶ月後。実のところ、すっかりあきらめていた。

でも、ご近所さんは、私の発言を覚えている。そして、助けてくれようとしている(!)

その週末、ご近所さんを訪ね、まずはカタツムリ対策を一緒にしてもらった。使い方を教えてもらって一緒に薬剤を撒いた。その日を境にぱたりとカタツムリは出なくなった。

更にご近所さんは、更にお向かいのやはりガーデニング好きのご近所さんとも話をつけてくれた。
ある日、非常に日当りの良い場所が空けられ、「余っているから」と大きな植木鉢が置かれていた。

もうこうなったら野菜を育てるしかない。

苗と土を買ってきて、見よう見まねで植えてみた。庭で作業をしていると、ご近所さんBと、お向かいのご近所さんRが代わる代わるやってきては、いろいろなアドバイスをしてくれるようになった。
「トマトはあんまり水をやらなくていいわよ。」
「その鉢だとピーマンには小さすぎるわ。」
「土の上に小石を並べておくと水分の蒸発が抑えられるよ。」

葉っぱが枯れても、虫に食われても、ご近所さんに聞くと必ず一緒に悩んでくれた。
相談相手ができて、家庭菜園が少しだけ楽しくなって来た。

そうやって庭に目を向けてみると、私のアパートの共同中庭は、BとRによって、驚くほど素敵に手入れされていることに改めて気づいた。春はバラ。6月はあじさい。そして、今は2人が植えたひまわりがすくすく育っている。いままで野菜にしか興味がなかったけど、花も悪くないのかもしれない。

いろいろお世話になってしまったからなんか御礼がしたいなあ、と思って、この間ケーキを作ってみた。
今度は晩ご飯に招待したいなあ、とうっすら思っている。
いやはや、ご近所付き合いも悪くないのかもしれない。

カタツムリ君、ありがとう。






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例えば、あなたが女性で、ハーバードで、マークザッカーバーグの同級生だったとする。それはすなわち、彼の奥さんのプリシラ・チャンともほぼ同級生だということである(彼女はハーバードの一学年下)。
Facebookの成功を見て、あなたはあえて選ぶなら、マークとプリシラとどっちのほうを見て「くやしいな、ああなりたいな。」と思うだろうか?

私は世界中で、そして特に日本で、マークザッカーバーグを見てくやしさを感じる女性が増えてほしいと強く思う。プリシラを見たら、「私も彼女のような素敵な女医になりたい。」とくやしく思ってほしいと思う。

女性は男性と違って成功の道が2通りある。それは社長になるか社長夫人になるかだ、、、みたいな本が10年くらい前に出版されてたような気がするけど、女性が社長夫人を目指す世界なんて、ほんとに世界の未来がないと思う。

もっと力が欲しい、パワフルになりたい、と思うのは、そうしないとなし得ないことがあるからだ。
社会の上を目指すということは、それだけ社会で責任を負うということだ。
私は世界のフリーライダーになりたくない。教育を受け、社会保障を受け、小さい頃から投資を受けた分だけ、きちんと社会に恩返ししたい。そういう責任は、本来、男女平等にあるんじゃないんだろうか。

世界は見かけほど平和で穏やかな状態じゃないんじゃないかと思う。ぼんやりしていたら、環境が破壊され、食糧やら水やらエネルギーやらが足りなくなり、世界のあちこちで紛争が起きて、なんて世界は、そこまで迫ってる。それをもし食い止められる力があるとしたら、それは女性のほうにあるんじゃないんだろうか。
未来の子供達に少しでも良い地球を残したい、という想いや責任は、むしろ女性のほうがほんの少し強かったりしないんだろうか。

ハーバードのMBAを取得した女性のうち、10年後に仕事についているのは約半数なのだという。残りの半数は専業主婦になる。そういう女性はたいてい稼ぎの良い&忙しくて子供の面倒を見る暇のないパートナーと結婚するから。ほんのちょっと前までは、「そうだよねえ。子供が生まれたら仕事やめたくなる気持ちもわかるかも。」と思っていたけれど、今はやっぱりちょっとおかしいと思う。
女性がより良い社会を創っていく作業に積極的に参加しないのもおかしいし、男性が子供を育てるという重大責任をもっと積極的に担わないのもおかしいと思う。

「どうやったらみんなで力を合わせて、日本を、地球を、ほんの少しだけ良い場所にできるんだろう。」と男女がそろって考えた先に、初めてまっとうな少子化対策とか子育て支援があると思うし、まっとうな社会の未来もあると思う。

最近、FacebookのCOOのSheryl SandbergのLean Inという女性啓発本(?)を読み、一方で日本では、時代錯誤な少子化対策のニュースばかりを見かけ、ちょっと感情的になって書きました。ふう。




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旬を食べる

2013/05/10 Fri 21:46

1月からCommunity Supported Agriculture (CSA)という、生協の野菜ボックスのようなものを頼んでいる。
野菜の宅配に「コミュニティーサポート」などとたいそうな名前がついているのは、もともとは原資のない農家でも農業を始めてもらえるよう、消費者が集まって一年分の野菜代を前払いしたことから始まっているからだ。

アメリカのCSAは生協と違って、たいそう勝手が悪い。
まず、毎週決まった曜日に野菜を取りにいかなければいけない。
そして、届く野菜も選べない。その季節にその畑でとれたものが勝手に届く。
アメリカなので、ビーツとかケールとか、見たこともない野菜が届く。一方、ごぼうとか里芋は届かない。

そんなCSAを始めたのは、仕事のためだった。
正確に言うと、「仕事柄ちょっと試そう」ではなく、「仕事上、やらないわけにはいけない状況に追い込まれて」、始めた。

それから4ヶ月。
私は「明日は野菜を受け取る日だ」と思い出すだけでちょっと顔がほころぶくらいに、しみじみとCSAをやる幸せを感じている。

はじめて2−3ヶ月は正直つらかった。いくらカリフォルニアとはいえ、冬はあんまり作物がとれない。
2月のころは、秋の収穫から農家が蓄えていたバターナッツかぼちゃやら根セロリ(セロリっぽい味がするけどセロリとはぜんぜん似てない)やら根菜類が毎週、毎週届き、野菜を見るたびに深いため息をついていた。
同じ根菜類でも、ごぼうや里芋がいいよー、と嘆き、「アジア野菜ばかりを育ててるCSAを始めようか」とふと思ったりした。はじめは「甘い、甘い」と喜んでいたにんじんも、10週連続くらいで届いてさすがに持て余すようになった。

果物も冬は単調だった。というかオレンジしか届かなかった。農家が集まって直販しているfarmers' marketでも、あるのはオレンジとみかんばかり。冬の始めの方はりんごや梨もあったが、冬が終わるころには柑橘類しかなく、いちごやももやいろんな果物が恋しかった。

野菜の受け取りにいくのも一苦労だ。土曜日の朝が受け取り時間なので、約束を入れないようになった。

3月の終わり頃、野菜の受取所で、農家さんとなにげなく会話していたら、「今週良い天気でね、来週にはアスパラガスが穫れるかもしれないの。」と言われた。心無しか農家さんの声がはずんでる。

ん?アスパラガス=春?!

アスパラガスなんて、そんなつやつやしてて鮮やかな緑色をした甘い野菜は、ここ何ヶ月も食べてない!
そう思ったら急に私まで心がはずみ始めた。

アスパラガスのニュースを同僚に伝えたら、感化された同僚がアスパラガスのまめ知識を仕入れては教えてくるようになった。
「アスパラガスは一日ですごく大きくなるから、収穫できるタイミングを見計らうのが大事なんだよ。」
「アスパラガスは、根元が固いから、自然に折り曲げてぽきっと折れるところを探して、その上だけを食べるのがいいんだよ。」
「アスパラガスにポーチドエッグをのせるとうまいんだなあ。」
・・・。

初めてアスパラガスが届いた週、そのアスパラガス達がどんなに美味しかったことか。
あれから5週連続くらいで届いているが、毎週「次の週にはもう届かないんじゃないか。」とハラハラしながら、大事に大事に食べている。あまりにアスパラガスがうれしいので、友人宅へのお土産に2回も生のアスパラガスを持っていっている。明日の配達でもアスパラガスが届くが、「ああ、うれしいなあ。」とまた思っている。

いままでアスパラガスに対してなんの感慨もなかった。というか、どんな野菜に対しても特に無感動だった。それが今は野菜にわくわくするのだ。

1月のある週のカブはびっくりするほど甘くて本当においしかった。(たぶんそれは前の週に霜が降りたせいだ。)
ある日、根菜類を持て余して、蒸し野菜にしたら、あまりにおいしくてその日は肉や魚の出番がなかった。
お弁当を作らなかった日、夫が自分でレタスをタッパーに詰めて持っていってた。

静かに、でも確実に、我が家では野菜の地位が上がってる。

アスパラガスを境に、毎週届くボックスから根菜類が消え、葉ものが増えた。
今は毎週レタスにほうれん草にケールに新玉ねぎ(といっても玉ねぎはとても小さく、青ネギのような形をしている)ばかりが届く。そして、果物はオレンジの代わりにいちごばかりが届く。(あまりにいちごがうれしくて、2回も苺大福を作ってしまった。)

飽きないと言ったら嘘になるけれど、もうスーパーで野菜を買おうとは思わない。
きっとまた冬が来たら、つらいつらい、と文句を言うだろうけど、冬にはあの根菜類の山が待っているのかと思うと、少しだけ幸せな気分になる。(そして、自分でもびっくりするけど、早くも冬の野菜が少しだけ恋しくなっている。)来年も、再来年も、そうやって四季が巡るんだと思うと、なぜだか胸がいっぱいになる。

いつか自分で野菜が育てられたら楽しいんだろうなあ、と思って、ハーブを育て始めている。でも、買ってきたバジルの苗がさっそくカタツムリに食べられて、早くも悪戦苦闘している。夜になると「カタツムリに苗を食べられているかもしれない。」と不安になり、カタツムリに対して本気で怒ってる。ぷんすか怒りながら、ふと私は今、すごく満ち足りてるんだなあ、と思う。人間の幸せは、昔からこんなもんなんじゃなかろうか。

名だたる大企業の戦略を考える仕事からずいぶんな転職をしたなあ、と思いつつ、こういう日常の幸せを世界中に増やすことを本業にできたことに、心から感謝する日々である。



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デザインとは

2013/02/10 Sun 10:51

良いデザインとは、
それを見た10人のうち9人、いや10人全員が、無意識のうちに、
デザイナーが想定していた行動をとれるようになっていること。

良い文章とは、
それを読んだ10人のうち全員が、
同じ意味を受け取り、同じ結論を出し、同じ次の一歩をとること。

なぜならデザインしているのは、目の前のプロダクトではなく、その先のユーザーの行動だから。
プロダクトを作るのは、それで売上を立てたいからではなくて、それを通じて、人の動きを変え、世界を変えたいから。
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市場のニーズをよく調査し、ニーズに沿って製品を開発するマーケットインのアプローチと、自社の強みや特定の技術を核に、製品を作って世に問うプロダクトアウトのアプローチと、どちらのほうが良いモノができるのか、ずっと結論が出ずにいた。
が、最近、ようやくどちらが良いという話なんかではなく、「当然、売れる製品は、顧客の根源的なニーズ(口先のニーズやトレンドではない)に応えてないといけないし、その製品は自社の強みを生かしまくって、世界で一番になれないと、実際のところ勝てないよね。」という当たり前な結論に至った。
が、当たり前なようでいて、忘れがちなので、メモしておこうと思う。

最近、偶然が重なって、ポテチ(というか野菜チップス)と鍋と、2つの製品の開発秘話を読んだ。
野菜チップス: カルビー、たった1人で30億円を稼ぐ男
鍋:   バーミキュラ開発ストーリー

カルビーのベジップスは野菜本来の美味しさにこだわり、油と塩だけで味付けしたチップス。バーミキュラは、ホーロー鍋と無水調理鍋の特性を合わせ、素材本来の味を引き出すことにこだわった鍋である。
ベジップスは発売以降、一部で販売中止になるほどの大ヒットになっている。バーミキュラはもっとすごく、ネット直販しかしてないのに、製造が注文に全く追いつかず、今や15ヶ月待ちというほどに売れている。

売れているという実績以上にすごい、すごいと思っているのが、その開発プロセスだ。

1. マーケットイン: 普遍的な価値を選び取る
2つの製品とも開発前に顧客の市場調査を特にしているわけではない。まあ一般的な調査くらいはしていたかもしれないが、アンケートでみんなが野菜本来の味を引き出すチップスを求めてると言ってました、とか、「今の鍋だと素材本来の味が引き出せなくて不満で。。。」と訴える人が続出しました、といった状態ではなかっただろう、と思う。

でも、素材本来の味をおいしくいただけるという「価値」は、とても普遍的な価値だ。それにいくら払うかはともかく、「お金を払ってもいい価値だ」と思う人はとてもたくさんいる。
そこが、「消費者はこれから絶対に3Dでテレビを見たがるはずだ。」とか「ユーザーは0.2mmよりも更に細いペンを求めているはずだ。」といった、よく聞くプロダクトアウトの製品とは違う。
きっと野菜チップスの人も、バーミキュラの人も、自分のプロダクトの味に心の底から価値を感じていたし、それがうまく人に伝わるか、というところに不安はあっても、一度伝わったら、絶対に誰もがその価値を共有できると確信していたのではないかと思う。

2. プロダクトアウト: 自社が世界一になれるマーケットで勝負している

一方、2社とも自社の強みをよく自覚している。カルビーのほうは自明すぎてあまり言葉になっていないが、「チップス」にこだわったのは、そこなら自社が勝てる、世界で一番になれると、社内で共有されていたではないかと思う。バーミキュラのほうは町工場だということもあって、冒頭から何度も「自社の特長、自社の設備でできること」「自社が世界一になれること」を意識した記述が出てくる。「マーケットイン」一辺倒で、さつまいもが一番おいしいのは焼き芋です、だからカルビーで焼き芋を発売しましょう、とか、素材の味を引き出すなら鉄板焼きです。だから愛知ドビーで鉄板を作りましょう、とはならない。そのバランスがうまい。

3. ぶれない
次に2人ともすごいなあ、と心底思うのが、価値を選び取った後に全くブレていない事だ。
野菜チップスは開発に7年、鍋は3年かかっている。
開発途中に価値がぶれたり、増えたり、妥協を迫られたり、といったことは無数にあったに違いないと思う。

誘惑その一は、ほかの価値に浮気する事。
「野菜チップスの不満の一つは高いカロリーです。低カロリーの油を使いましょう。」
「サツマイモよりムラサキイモのほうが健康に良いです。だからムラサキイモを使いましょう。」
「鍋の底がでこぼこしていると使いにくいです。だから、味は少し落ちるかもしれないけど、使いやすさを優先して底は平らにしましょう。」
「ホーロー鍋の不満の一つは重い事です。だから、軽くする工夫もしましょう。」
・・・
上記のどれも間違ってないし、どれも普遍的な価値(健康、カロリー、使いやすさ)に言及してる。
私ならすぐにふらふらっと心が動いてしまうと思う。
でも、ベジップスもバーミキュラも「素材の味」から一切ぶれてない。ほかのポイントも考慮しているが、優先順位はいつも絶対的に素材の味が一番だ。ブランディングもマーケティングもそこは一貫している。
当たり前、と言われるかもしれないけど、現実的に3年とか7年の開発プロセスで一貫性を保つのは並大抵のことじゃないと思う。

妥協という誘惑もある。
ベジップスの人はこだわりの種を選んだだけでなく、自分で中国まで植えに行った。
バーミキュラの人は、鍋の密閉性を高めるのに2年近くかけている。
普通のビジネス感覚でやっていたら、とっくに妥協していたと思う。
更に言えば、現実的に物事を進めるためには、大事じゃないポイントについてはどんどん妥協していかないとなにも動いてなかったのだろう、とも思うのだ。だから、核は絶対に妥協しないけど、ほかは柔軟に妥協する、というセンスも必要になってくる。「和と調整」が尊ばれる日本でどれだけ大変だったのだろう、と想像するだけでため息がでる。

4. 価値を信じ続ける確信と、現実を直視する力を持ち合わせる
もう一つ、実は一番危険なんじゃないかと思っているのが「偏屈になる」誘惑だ。
昔、「低音域の音にあわせて震えるヘッドフォン」なるものを開発した人が、社内で製品化させてくれ、と訴えるプレゼンに立ち会った事があった。なかなか面白いコンセプトだったが、つけていても「ちょっと違和感があるな。」という以上の感想はなかった。音楽好きを集めたフォーカスグループインタビューでの評判も可も不可もない感じだった。そんなこともあって、製品化は見送られた。
開発した人は心底怒っていた。「これを出せば絶対に流行るのになんでつぶすんだ。」と食って掛かっていた。プロダクトもマーケティングの構想も明確に練られており、どれも筋はとてもよく通っていた。

今振り返って思うのは、その人のプロダクトに欠けていたのは「ヘッドフォンが振動する事によって音が深まる」という約束を本当にこの製品で実現できているか、についての冷静な判断だったのだろう、と思う。コンセプト自体は悪くなかったし、そういう製品が本当にできたら大ヒットになる可能性もあったと思う。でも、(音楽音痴の私が判断するのもおこがましいが)彼のヘッドフォンでは「音が深まる」感じがしなかった。最後まで、彼はそんなはずはない!と言っていたけど、でも、彼のプロダクトは「本物」じゃなかった。

ビジョナリーカンパニー2」にストックデールの逆説というくだりがある。
要約すると、勝利を信じ続ける確信と、今の一番厳しい現実を直視する力の両方を持ち合わせなければならない、と書いている。

自分自身も含めて、いろいろな製品開発の現場を見ていると、この2つを持ち合わせている人は極めて少ないと思う。
今のプロダクトを盲目的に信じきるか、もうこの道はないとアイディアそのものを捨て去るか、のどちらかにすぐに振れてしまう。いろいろな会社がピボットできない、あるいはピボットしても失敗するのは、この「ストックデールの逆説」ができないからなのではなかろうか。

とはいえ、いざ実行に移すとできないことだらけなのだが、7年越しくらいにようやくまとまった理解に至ったので、久々にブログを書きました。
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