スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
BOPビジネスの続きを書く前にゴール設定の話をしたく。

(4)開発におけるゴールの設定

世界銀行に長く勤めたMPA/IDの現Headがある時、こんなエピソードを話してくれた。
「インドで水道局の職員と水へのアクセスの話をしてたんだ。いろいろ話をするんだけど、ずーっと議論がかみ合わない。なんでだろうと思ってゴールを聞いて合点がいったよ。彼らにとって『水へのアクセスがある状態』とは、『各人の家から50m以内に安全な水へのアクセスポイント』があることで、私のとっては『インドの辺鄙な村でも24時間熱いシャワーが浴びられること』だったんだ。ゴールが違ったらその過程の議論がかみ合うわけがない。」

個人的にこの話は目からうろこだった。例えば国連のミレニアム開発ゴール(MDG)の第1条第1項は、「世界の貧困層(1日1ドル以下で生活する層)人口を半減すること」とされているが、この目標を、いつかはすべての国がOECD国並みに豊かになるための通過点に過ぎないと思うか目標そのものをゴールだと思うかでアプローチはずいぶん変わるのではないだろうか。

MDGという言葉でよく連想されるのは「今、目の前にいる貧しい人の生活をとにかく改善する」というアプローチだ。Jeffrey Sachsが運営するMillenium Village Projectなどはその好例だ。村に出向き、やせた農地の生産性改善を助け、井戸を掘り、学校を作り、現金収入が入るような機会を作る手助けをする。

一方、前者は、良くも悪くも、もう少し「上から目線」の活動だ。たぶん「国づくり」のために奔走した明治時代のエリート層が一番イメージに近いのではないだろうか。港を作り、繊維工場を建て、法律を整え、列強に一刻も早く肩を並べられるように馬車馬になって働く。明治時代の日本がたぶんそうだったように正直なところ、国内の貧困や社会問題は二の次。一に発展、二に発展。1978年以降の中国がその最たる例だ。

もちろん、経済開発以外をゴールに持ってくることもできる。そうすると例えば国民幸福度指数を設定したブータンのようになる。国民の幸福度を高める、というのは実のところ経済発展なんかよりはるかに難しい。ブータンのように、
・安定した収入源:
1.土地の高低差を利用した水力発電(そして電気をインドに輸出)
2.高い観光税を課してのプレミアム観光政策(観光客は1日200ドルかかるツアーパッケージ以外では入国できない・ツアーはもちろん国内の旅行会社が運営。ツアー代の大半は国の税収)
・少ない人口+豊富な資源 (人口は70万人)
・ザ・人格者な国王(ブータンの国王はめちゃめちゃ愛されている上に、本当に人格的に素晴らしい人のようだ)+信心深い国民(国民のほとんどは敬虔な仏教徒)
がそろわないと、無理なんじゃないかと思ってしまうくらいに、ブータンは世界の奇跡だと思う。が、とにもかくも、ブータンにとってもミレニアム開発ゴールは通過点の一つに過ぎないだろう。この国はもっと遠くを見ているような気がする。

・・・だいぶ話が脱線してしまった。

単純にミレニアム開発ゴールの達成度合いだけでこれらのアプローチの勝敗を測るなら、今のところ、軍配は「上から目線型」に上がる。1999年から2005年で、世界の貧困層人口は17億人から13.8億人まで減っている。
この減少幅の3.2億人のうち、実に2.5億人は中国一国で減っている。残りの0.7億人くらいは東アジアでの減少。ほかの地域はほとんど減っていないどころか、アフリカではむしろ0.1億人くらい増えている。(ちなみにミレニアム開発ゴールの期限は2015年なので、それまでに貧困層の半減の達成は非常に厳しいのではないかと言われている。)

もちろん、この比較はアンフェアではある。アフリカの某国に位置する村と中国の村を比べたら、親から虐待されて養護施設で保護せざるを得なくなった子供と、貧しいながらも世界一を目指してキリキリ指導してくる教育ママの下で育った子供くらいの差はあるだろう。その子供たちに同じ結果を求めるのは酷なのかもしれない。

でも・・・、これが二人の子供だったら、本当にその教育者として、違うゴールを設定して教育するのが正しいのだろうか?養護施設の子供には、「あなたはこれまで大変だっただろうから、まず食事と服をあげる。それからはゆっくり考えていきましょうね。大学?そんなのまた夢のまた夢よ。」と言うのだろうか。教育ママの下の子供は同じくらい貧しくても「あなたは生まれが貧しいんだから、がむしゃらに勉強して将来は東大に入るのよ。それで周りの子を見返してやりなさい。」くらい言われているのかもしれないのに・・・(もちろんそれがいいかどうかはともかく。)

これはおとぎ話ではない。40年前に実際に2つの国の間で起こった選択の差でもあるのだ。
1965年、シンガポールが独立した年。この時点でのシンガポールの一人当たりGDPは2650ドルだった。
同じ年、同じような気候、地理条件、過去の歴史背景(どちらも昔は英国領)、資本主義にオープンな政府を持った国:ジャマイカの一人当たり年間GDPは2850ドル。(加えて、ジャマイカはシンガポールにはなかった豊かな自然と観光産業も持っていた。)
それから40年。ご存知の通り、シンガポールは「学べや働けや」の政策の下、一人当たりGDPが31400ドルの立派な先進国になった。一方のジャマイカはいまだに4800ドルだ。

(ちなみに1965年当時、韓国の一人当たりGDPはスーダン、トーゴ、ケニアと同じレベル、中国はアフガニスタン、ハイチと同じレベルだった。)

もちろん経済がすべてだとは思わない。が、生まれる場所が選べるとして、韓国かスーダンか、中国かハイチかと言われれば、選ぶ先はさすがに自ずと決まってくるのではないだろうか。

このシンガポールとジャマイカの運命の分かれ目となっているのはなにか?様々な研究がされていて、それを日々習っているが、勉強すればするほど、国の成長の差は「はじめのゴール設定の差」なんじゃないか、という気が最近してきた。
(開発経済を教えるかのDani Rodrick教授は、国が突然成長するようになるとき、制度などの目に見えるものではなくて、「Attitudal shift(態度の変化)」が必ずあると説明していた。)

---

私は開発には、今目の前で苦しんでいる人を助ける活動と中長期的な成長を助ける活動の両方が必要だと思っている。Millenium Villageも、世界の隅々で地元に根を張って活動するNGOの活動も、素晴らしいと思う。
でも、どちらの仕事にかかわるにしても、ゴールの目標だけは、目線の高さだけは下げてはいけないのではないかと思う。

で、ずいぶん大回りしてきたけれど、同じ気持ちを私はBOPビジネスにも持っている。今は100人の人にしかインパクトを届けられなくても、赤字続きでも、ゴール設定における目線の高さは失ってはいけないのではないかと。

ということで、次回はBOPビジネスにおけるゴール設定について書きます。。。
スポンサーサイト
BOP | コメント(1) | トラックバック(0)
コメント
No title
私的な感情としては、Sachsのアプローチも上から目線の「草の根アプローチ」だと思っているんですが・・・住民自身が自分の生活をどう発展させていくか(自分達だけでどうマネージメントしていくのか)という視点から開発プロセスをデザインしていかないと、支援団体が手を引いた後持続できないような気がするんですよね・・・。

Shan さんが授業紹介の記事の中でMDGsに関する先生の説明を簡単に紹介されていたと思うんですが、ゴール設定自体は関係者に行動を促していくためのデバイスなのではないのでしょうか。MDGsのような目標でなくとも、貧困削減戦略ペーパー、あるいはSachs のような具体的な成功例を作るという行為であっても、目線や意識を変えていく媒介としての役割を果たす上で必要十分であることが大切なんだと理解しています。

MDGsは政府間あるいは中央政府レベルでの目線合わせには便利かもしれませんが、あくまでトータルでどれくらい実現出来るかが大事なのでどうしても手のつけやすいところで成果を出してしまうインセンティブが働きがちのように見えます。全体像を把握しておくことは大事ですが、他方で具体的なイメージがわかない分よりマイクロな目線で仕事をしている人から見るとあまり共感を得られなかったりします。

組織(あるいは政策)運営においては、如何に仲間の意識を高め、パファーマンスに結びつけていくか、現実と理想の間でバランスの取れたところにある目標を提示していけるかという部分で、リーダーのバランス感覚やセンスがつまるところ大事なんでしょうね。

記事、いつも興味深く読ませていただいております。

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。