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援助貴族

2008/07/30 Wed 23:45

オフィスで午前中仕事をした後は、今、一緒に仕事をしているKさんに、ジャカルタ市内を案内してもらいました。

Kawakita-san
(写真の白いTシャツの方がKさん)

Kさんは私と同じUNDPのGSB(Growing Sustainability Business)ユニットで一年間、UNボランティアとして働いている方。
彼はGSBブローカーというポジションについていて、インドネシアでGSB関連のプロジェクトをGenerateするのが仕事。
私はそのGSBの一環でGenerateされたプロジェクトの調査をするために雇われたわけだから、まあいわば彼は私の上司のような存在。
30年間、アメリカのダウケミカルで勤めた後、昔から興味があったという国際協力の分野で文字通り退職後の「ボランティア」をされている。
(ちなみにこのUNボランティアというポジション、国連職員になるためのステップアップとして就く人も多いらしく、必ずしも「ボランティア精神」にあふれたポジションというわけではないみたい。)

スマートでリーズナブル、いつも落ち着いていてぽんと仕事を任せてくれる、、、そんなKさんは一緒にいて本当に働きやすい。
Kさんは私の4ヶ月前から赴任されているのだけど、彼の赴任後にプロジェクトが始まって本当に良かったとしみじみ思う。
経歴もとても面白い方で、語りだしたら止まらないのだが、それはさておき、まずは彼の住むアパートメントコンプレックスを見学。

Apartment

写真は中庭の様子。20棟程度のアパートメントが郡をなしていて、中にはカフェテリア、スーパー、プール、テニスコート、などなど一通りの設備はそろっている。
「すごい、すごい!」と連呼していたら、「これでもジャカルタのMiddle classが住むところだよ。」とさらりと答えるKさん。
「僕も初めてここを見たときはとてもぜいたくだと思ったけど、UNDPの人たちと知り合ううちに、これはUNで働く国際公務員の中では一番下くらいなんだなあ、と気付いたよ。」
なんでも、UNDPの国際採用の職員たちは、ホテルのようなハイエンドな邸宅に住んでいるらしい。

出発前から、「援助貴族」という言葉は聞いていた。いわく、発展途上国で一番豊かな暮らしをしているのは、えてしてその国の開発援助に来ている援助機関の職員だと。
でも、実際に見てみるとやっぱりなにか変だ。なんというか、ちくちく胸が痛む。
だからといって、今から目の前に広がるトタン屋根の家に住めと言われたら、きっとたぶん住めないから、余計に罪悪感を感じる。
(実際、私の住んでいるアパートメントホテルだって、一ヶ月500ドルのところだから、市内では相当良いほうに入るに違いない。)
「僕も最初にここに住んだときは罪悪感を感じたよ。いろいろ矛盾しているよね。」とKさん。

気になったので、オフィスの隣の机で働いているアイーダに同じ疑問をぶつけてみた。
(ちなみにアイーダはUNDPで25年間勤めた超ベテラン。退職した後、今は短期コンサルタントとして戻ってきているのだけど、UNDPの歴史やらインドネシアの開発の歴史やら、いろいろなことをよく知っていて、話が抜群に面白い。いつも明るくて、そしてさりげなく優しくて、私が愛してやまない同僚だ。彼女とKさんとそして周りのスタッフのおかげで、私のオフィス環境はすばらしく心地が良い。)

返ってきたのはなんとも明晰な答え。「払う犠牲の代償なのよ。」

「UNでインターナショナル採用で働くっていうことは、数年おきに世界のどこにいるかわからない生活を送るということでしょ。家族も本国にいる友人も、いろいろなものを犠牲にすることになるわ。
アフリカに行けば紛争に巻き込まれるかもしれないし、アフガニスタンに行けば外出禁止命令が出るくらい危険な生活が待ってる。その上、現地の人と同じ暮らしをして、なんて言ったら、人が集まらないわ。」

な、なるほど。

「逆に発展途上国に住む人にとっては、UNというのはPrestegiousな仕事なの。UNに入れば外国に出るチャンスが生まれる。教育費の補助も出るから、子供に良い教育を受けさせられる。子供に大きな世界も見せられる。だから、発展途上国出身でUNに勤めている人はお金のために働く人も多い。その点、先進国から来る人は、本当に世界を救いたい、と思う人が多く来るわね。」

ふむふむ。

確かに世のため人のためなんだから、自分の身を犠牲にしなさい、というのはおかしいと私も思う。
たとえば、日本の中央省庁に勤める役人の給料は過分に低いと思う。
あのままでは、優秀な人が集まらなくなるだろうし、中の人のやる気がそがれてしまうだろう。
責任の重さに見合うだけの見返りは出すべきだ。それが資本主義社会における平等というものだろう。

でも、やっぱりなんだか国連のこの「貴族」っぷりにはどうも慣れないなあ・・・と思いながら、
なぜだか、中国の小学校の道徳の時間に習った、農民を守るために、持っているものすべてを捧げた兵士の話を思い出した。そういえば日本の道徳の時間でも、見返りを求めずに社会に尽くす系の話が多かったっけ。

・・そうだった、私は、中国・日本を通じて、どんな仕事においても、Public Servantたる意味を学んだんだった。
自分の教育的バックグラウンドから来る先入観を自覚しつつも、やっぱりまだまだ援助貴族に違和感を感じる。
開発こそ、最前線の人々の暮らしが肌身でわからないと、なにがニーズかなんてわからないんじゃないだろうか。ただでさえ正規の国連職員はプロジェクトのマネジメントが中心で、実際にフロントラインに立つことは少ないのに、それで本当に間違いなくプロジェクトのデザインができるんだろうか。

うーん、まあ、でも、もしかしたらみんな目に見えないところで、せっせと現場を見に行っているのかもしれない。
もしかしたら、すごくうまく現地のニーズを吸い上げるしくみを持っているのかもしれない。
ふーむ、まだまだ観察が必要な様子。
国連はいまだ未知な世界です。
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UNDP / GSB | コメント(2) | トラックバック(0)
コメント
No title
日記の更新,楽しみにしてるよ!!
No title
外務省・JICA・UN・現地NGOなどなど各視点からの話を聞いていたケニアのときの経験を思い出しました。ぜひ現場にも足を運んでみてくださいな。

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