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働く意義

2013/10/09 Wed 23:22

いろいろわけあって、今日まで野菜を売っていた。
毎日農場やら直売所やら走り回り、無人スタンドに野菜を並べて売る、極めて原始的なことをしていた。

始めは野菜を売るどころか野菜の鮮度を保つこともできなかった。それでも、ぽつりぽつりと、ご近所さんが野菜を買ってくれた。

そのうちスタンドに常連さんがつくようになった。
2歳になる子供に野菜を選ばせるとよく食べてくれるからとお母さんが散歩がてらにほぼ毎日通ってくれた。
夜になると若いカップルがビールグラスを片手に立ち寄ってくれた。
お父さんが赤ちゃんを背負って通うようになった。

思い切って近所の人に無人スタンドの説明をした手紙を配りにいってみた。一軒一軒、ベルを鳴らして手紙を持っていったのだが、一軒困ったように「うちの妻はもう口から食べられないんだ。」と言ってさっさとドアを閉めたおじいさんがいた。それは申し訳ないことをした、とほかの家以上に恐縮して、その家をあとにした。(だいたいほかの家でもちょっと迷惑がられたのだ。当たり前のことだろうけど。)

ところが数日ほどして、ほぼ毎日、おじいさんと車いすに乗ったおばあさんをスタンドで見かけるようになった。陰からこっそりのぞいていると、5分も10分もかけて、じっくりと野菜を見てる。
「これはなにかなあ。」「こんなものも穫れるのねえ。」
そんな会話をしている。
おばあさんが食べない分、野菜を買うことはなかった。それでもじっと見に来てくれることがうれしかった。

ある時、スタンドの野菜入れ替えをしていたら、2人がまた立ち寄ってくれた。
「この野菜はなんというの?」と聞かれて、
トロピカルほうれん草というなんともマニアックな野菜の説明をしたら、買って試してみるという。
たった2ドルのお買い物だけど、初めての買い物、そしてたぶん人生で初めてトロピカルほうれん草に挑戦してくれることにじんわりうれしかった。

そんな数ドルとか数十ドルで一喜一憂するような野菜売りの生活を始めてかれこれ3週間。
今日になって、これまたいろいろあって、これ以上売ってはいけないことになってしまった。
方々手を尽くしたつもりだったけれども、駄目だった。

やめることが決定して、悲しいこともくやしいこともたくさんあったが、
ああ、これからおじいさんとおばあさんは、もう散歩して野菜を見ることはないんだと思ったらこらえていた気持ちがあふれてどうしようもなくなってしまった。

あのおじいさんとおばあさんにとっては実はちょびっとしか悲しくないかもしれない。
でも、私はあの2人が散歩に立ち寄れる場所を作り出したということに、こんなにも喜びを、意義を見いだしていたのかと、自分でも驚いた。

そしてやめる段になって、一番気になったのが(いままではもっとずっと気にしていた)上司の反応とか、自分の出来不出来とか、ビジネスの行方とか、利益とか売上とか、「自分」「自社」にまつわるすべてのことではなくて、あのおじいさんの散歩コースだったのが、自分でもおかしかった。

そして、少しだけ心が晴れた。

「やりたいことは探すんじゃないんだよ。作るんだよ。」

そう上司に怒られたっけ。

「どうやってもうけるかとか考えなくていい。とにかく価値を作るんだ。人の役に立つ価値を。」
とも言われたっけ。

もうバリエーション含めて500回くらい同じことで怒られたような気がするけれど、ほんの少しだけ、事業をやるという意味がわかった気がする。

野菜スタンド、ありがと。
おじいさん、スタンド、続けられなくなっちゃってごめんなさい。
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