スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
新居に引っ越してからはや2ヶ月。
我が家はオフィスから車で25分くらいの山の中にある。
山の中というのはけっこう文字通り山の中で、鹿やうさぎが林の中を闊歩し、徒歩圏内には店どころか街灯もない。
そんなわけで移動には車が必須なのだが、先日、やはり2人が移動するのに2台車が必要なのではないかと、旦那さんと話題になった。

車をもう一台買えば生活は間違いなく便利になる。
2人で時間を合わせて家を出たり帰ったりしなくて済むし、昼間の移動に電車を使ったり、特に行く必要もないところについていったり、ということをしなくても済む。

でもそれで幸せが増えるかというと、意外とそうでもない。
朝、一緒に朝ご飯を食べて一緒に出る。車の中でぼーっとたわいもないことを話す。
たいてい寝ぼけているのであんまりまともな会話にもなっていなかったりするのだが、その時間は実はけっこう幸せだったりする。
車が一台しかないので時々電車に乗ったりする。この辺の電車は1時間に一本しか来なかったりするので乗れなかったら悲劇だとおおいに走ったり、無駄な距離を歩いたりする。不便かと聞かれれば大いに不便だ。でも、それが解決されたら幸せになるか、と聞かれると、これまたそうでもないんじゃないかなと思う。

最近、仕事とも関連して農業から栄養に至るまでの食にまつわるシステムについて勉強している。
学べば学ぶほど、戦後人類が築いてきた食のシステムは、私たちが食にかける「時間」と「お金」を減らし、「便利」にすることに心を砕いてきた歴史なんだなあ、と思う。

農業の世界では、農作業を機械化し、化学肥料を入れ、生産性を上げ、食糧価格を下げてきた。
流通の世界では、集荷と運搬の効率を上げ、スケールを上げ、一定の品質のものが大量に安く届くようになった。
買い物は驚くほど便利になり、家事の時間も大幅に短縮された。
家計に占める食費の割合は下がり、食事を準備する時間も片付ける時間も減った。

でも、余った時間とお金で手に入れたものは実はあんまり幸せそうに見えない。
アメリカでは下がるエンゲル係数のグラフと交差するように医療費が上がり、今は医療費が占める割合のほうが高くなってしまった。
食卓を家族で囲む機会は減り、今や家の間取りから「ダイニングルーム」が消えそうな勢いだ。

「いやあ、みんなの余った時間がどこに使われてるのか、よくわからないんですよねえ。」とオフィスでぼやいていたら、ふとミヒャエルエンデの「モモ」の時間泥棒の話を思い出した。

モモからの引用:
「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないからだよ。・・・・・時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねてかたどったものなのだ。・・・・人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じ取らないようなときには、その時間はないもおなじだ。」

心が感じない時間はないも同じ。
それなら2人で別々の車を乗るよりも2人で車をシェアした方が心が感じない時間は少ないかもね、と、
そういう話をしたわけではないけれど、「今は必要ないよね。」と2台目の車を入手することは当面やめた。

次の課題は時間泥棒に盗まれた食事の時間をどうやって各家庭の食卓に返すか、だ。
スポンサーサイト
未分類 | コメント(0) | トラックバック(1)
 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。