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今日、スタンフォードがマッチングしてくれた卒業生のメンターと会っていたときのこと。ベンチャーキャピタルでパートナーをつとめるメンターに、つい最近練り始めたビジネスアイディアについて、「どう思う?」と聞いてみたら、面白そうだね、とにっこり笑って、
「ビジネスはアイディアじゃ決まらないからね。どんなに良いアイディアに聞こえても実行がうまくいかないものもあれば、アイディアはいまいちでもなぜかうまくいってしまうものもある。特にEarly stageのベンチャーは100%実行で決まるようなものだからね。やってみたら?アイディアにはコメントしないよ。」

ふーむふむふむ。「なにをやるかではなく、どうやるか。」
この感覚、ビジネスに限らず、近頃人生そのものに感じる感覚ととても近い。

高校生の頃、大学選びで人生が決まる、と半ば本気で思っていた。行く大学を選んだ時点で、
「大学」→「大学院」→「研究者(当時なりたかったもの)」→「結婚」→「物語の最終章(こうして2人は末永く幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。)」とレールが敷かれるんだと勝手に思っていた。
20代後半からの未来はなんともぼやけていて、童話にある「幸せに暮らしました」の挿絵がどことなく頭の中を漂っている感じだった。
代わりにロールモデルだけはやけにしっかりしていた。高校の先生に、「なんとなくあなたらしいと思って」と言って雑誌の切り抜きをもらった物理学者の米沢富美子さん。トウモロコシの研究を一生続けたバーバラ・マクリントックさん。なにをするか以前に「誰みたいになるか。」を意識していた。

「誰になるか」から「なにをやるか」を意識し始めたのは、大学を卒業してからだ。
コンサルタントという、タイトルが一般的すぎてなにするのかよくわからない職業について、「さて、私はなにをやるんだっけな。」と思い始めた。
「インパクト」という言葉をやたら意識していたのもこの頃だ。インドネシアでこのブログの最初のエントリーたちを書いていた頃、私は世界の水問題に憂い、10年間水問題に取り組んできたクライアントに対して、「XXすべき。」なんて言ってたんだっけ。今思うとほんと恥ずかしい。
なにかと「強迫観念」にとらわれていた。「XXせねば。」「XXすべきでは。」
私は勉強をしなければならぬ。世界について学ばなければならぬ。
追い立てられるように2回目の留学に来てみて、「あ、そういうことじゃなかったんだ。」と気づいたのは、迷いながらも自分なりになにかを試し始めた頃だったのだろう。

人生は、実のところ壮大な目標とそこに至るきれいなレールとでできているわけではない。
革命をしたからって自由が手に入る訳ではない。誰一人として世界を一晩で変えることはできない。
世の中は、何一つ、「ゼロ・一」でできてない。
人生は、自分が正しいと思う方向に向かって、ほんの少しだけ行動を起こす、そのプロセスでしかない。
世界の変化は、人々の連続的な心の変化が積み重なった結果でしかない。

私はソフト・ハード問わず、「プロダクト」を介在するビジネスが好きだ。嘘偽りのない、誰かの価値観の積み重ねだから。
Aという言葉にまつわるイメージは一人一人ぜんぜん違う。「自由」とか「平等」とか、あまりにも中身に幅がありすぎて、ほぼ無意味な言葉なんじゃないかとすら思う。
でも、モノは誰が見てもそのモノで、どんなにごまかそうとしても、クリエーターの思想・価値観がそこかしこににじみ出る。その「にじみ出る価値観」のほうが、発せられる言葉よりも、はるかに信じられる。
だから、たとえばネットビジネスは「どうやるか。」ですべてが決まるんじゃないかと思う。ごくさりげない一つ一つの選択と行動に、そのプロダクトの価値観がすべて現れるから。口で「XXを実現するアイディア」と話したって、デザインプロセスのすべてにその価値観が反映されていない限り、ユーザーには伝わらないから。「なにをするか」よりも「どうやるか」に共感してもらえるかどうか、だから。

「自由だ平等だ」と言い回って人々を煽動するほどには政治に興味はないけれど、「フラットな世界」と「ヒエラルキーのある世界」だったら前者のほうがどちらかといえば好き。
「科学者!」っていうタイトルは名乗れないけれど、生涯、好奇心は大事にしたい。
そういう、あえて言葉にしないようなさりげない「AかBならどちらかといえばA」という選択を、ずっとずっと自分が正しいと信じている方向に向かってできるか否か。そのプロセスの積み重ねが、人生なるもののすべてではないだろうか。そういうプロセスを踏めることのほうが、正しいことを言えるよりもはるかに大切ではないだろうか。

「なにをやるか」からも解放され、「なにをやってもいいんだ!」と思えている今日この頃、
私は同時に人生で一番強く、「実現したい世界の姿」を意識している。それを手に入れるためではなく、良いと思う価値観に反しない選択を今日もするために。











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