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ブータンのお姫様

2011/10/05 Wed 00:11

ケネディの同級生にブータンから来ている人がいる。
ブータンに観光で行ったことがあるんだ、と話したらそれはそれは喜んでくれて、それ以来、よく話をしている。

毎回とてもシンプルな話しかしないが、その会話の内容が心温まるのだ。

例えば夏にDCでインターンした時の話。
「DCのバスに乗ってると、誰も目を合わせてくれないんだ。なんだか話しかけるのが変だって言われてるみたいに感じたよ。あんなに大きな街で、たくさん人がいて、それなのに週末に寂しさを感じちゃうんだ。だから夏の終わりに世界銀行で働かないか、って聞かれた時、ここの街には住めないなあ、と思って断ったんだ。」
そうだよね。
ブータンではみんなが目を合わせてにこにこしてくれたっけ。

例えば貧困の話。
「MPA/IDでは、インドで貧困層のターゲティングをするためのサンプル抽出の手法を習ったりするけど、ブータンでは使えないなあって思ったよ。ブータンにいた時、社会保障の仕事をしていたけれど、『貧困層』に属する人達はみんな顔と名前がわかってたから。村を一つ一つ回って訪問したりするからね。」
そうそう、ブータンの人口は70万人だった。
日本でも人口70万人の市町村では、民生委員が家を回ったりするんだろうな。きっとそうなんだろうな。

例えば人の気持ちをわかるという話。
「ある時、日本のある大臣が、娘にブータンでの暮らしを体験させたいって言って、大学卒業したての娘さんをブータンに送ってきたんだ。その子は村に3週間暮らしてみて、そろそろ村の様子がわかったからティンプー(首都)に移動したいってコーディネートをしてくれた人にお願いした。でも、その人は断ったんだ。『もう村の人の気持ちはだいたいわかりました。』というその子に、『あなたはまだなにもわかってない』と言って。
『あなたにはお願いをすれば村を出られるという選択肢がある。村の普通の人にもそういう選択肢があると思う?選択肢がない状態で暮らしてみて、初めて村の人の気持ちがわかると言えるんじゃない?』と。
その子は泣きながら村に戻ったよ。そしてそこで3ヶ月暮らした。村の人も彼女がずっととどまるのを見て、この子はなんだか違うぞ、と思って、お客様扱いをしなくなったんだ。3ヶ月過ぎたら、『村を出たくない。日本に戻りたくない』って言ってたよ。笑」
ああ、脱帽。

そんな彼は、今週末からブータンに帰ることをとても楽しみにしている。
なぜ今、帰るのか。それは来週、ブータン国王の結婚式があるから。(なんと日本語でもニュースが!)

友人が説明してくれたブータン国王の結婚発表の演説の内容がことさら素敵だったので、ここで引用。(だいぶ意訳です。インドの新聞記事と友人の話をベースにしてるので一部不正確かもしれません。あしからず。。。)

「国民の皆さんは王妃に対していろいろな素養を求めるのでしょう。格別に美しいこと、聡明であること、優美であること。。。私には皆さんにとって彼女がどう映るかわかりません。」
「でも、王妃にとって、一番大切なことは、いつ何時でも善き人(good human being)であることだと思うのです。王妃として、どんな時も揺るがずに国民と国のために尽くす暖かい心を持っていることだと思うのです。ほかの素養は、時間と経験と、適切な努力をもってすれば、自ずと身に付いてくるでしょう。・・・私はそんな女性を見つけました。まだ若いですがとても暖かくて慈愛に満ちた心を持った人です。温かい心と年を重ねることで身に付く叡智でもって、彼女は良い国の奉仕者(servant to the nation)となることでしょう。」

こういう人を国王を持てるブータン人は本当に幸せだとつくづく思った。
ブータンでの結婚式が素敵なものとなりますように。

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20年後の理想

2011/07/30 Sat 13:13

2つ前のブログに書いたロシア人の話の続き。

20年後、Shanはどんな人生を送っていたいの?と聞かれて、気づいたらこんなことを話していた。

私は20年後も「今日もなにか新しいことが起きそうだ。」というわくわくする気分で朝、目が覚めるような生活をしたい、と。
今の延長上に、私はいたい。好きな仲間に囲まれて、今日よりも素敵な明日を夢見ることができる、そんな人生。

そんなことを改めて思った土曜日の午前。
アメリカも中国も日本も、大変な世の中だからこそ、希望を持ち続けたい。




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リーダーシップの神髄

2011/07/05 Tue 03:44

ずいぶんと前の話になってしまうが、ビジネススクールの視察旅行(というと堅いけど、学生が自主運営してる各国のビジネス界を訪ねる観光旅行のようなもの)で韓国に行った時に、思いがけない縁で、某国の元大統領と1時間半にわたって話をする機会に恵まれた。

大勢の人と同じように、私もその大統領が好きではなかった。その人の思想にも政策にも賛同しなかったし、こんな馬鹿な人があんな大事な国の大統領でいいのかしら、と思っていた。
そう、その人に直接会う前までは。

1時間半の面談は、始めは失礼のない質問から入ろう、というクラスメートの配慮もあってか、「大統領という立場から見たリーダーシップの神髄を教えてほしい。」という質問から会話は始まった。

なにせ、(馬鹿とはいえ!)文字通り世界を取り巻く諸問題に対峙しつづけた人だ。緊張しながら答えを待っていたら、
「政府中枢で働くチームメンバーが政治的な対立や個人・党のアジェンダ・利害を超えて、一段上のミッションを共有して動けるような環境を作ること」ときっぱりと答えた。

「国の大統領は私利私欲なんかがあったら務まらない。大統領をしていた時は、大統領になりたくてなったというより、Higher calling(神からのお告げとまでは言えないけれど、そういった自分のコントロールを超えた力)があって、そういう使命を与えてもらったんだ、という気分だった。決して傲慢な意味ではなく、それくらいに、国民の安全と未来を預かるというのは重い使命であるということだ。
政府の中枢にはそのミッションとは関係のない多くの思惑が交錯してる。でも、中枢部のチームだけは、そういう雑念を取り除いて、チームとして一つのミッションと目的に一丸となって向かえる環境を整えなければいけない。
それが自分がリーダーとして一番腐心した事だ。」

その答えを聞いた時の部屋の空気は忘れまい。その人の発言は、覚悟と自信にあふれ、その目を見ていたら、外国人の私までも国のためにがんばらなければ、という思いにかられて背中がぞくっとした。

「最近のうちの国を見て、もう繁栄の時代は終わったなどというやつがいる。そんなのはくそくらえだね。
国の未来は、どうなるかじゃなくて、どうしたいかで決まるんだ。この国がNo.1でなくなる日が来る訳がない。I'm sorry to say this, but I'm freking pro-XXX(その国の名前)。」

ああ、そうか。
こういう人をかの国の国民は大統領に選んだんだ。
馬鹿だったのは私のほうだ、と思った。
マスコミに出る情報で軽い判断をしていた自分が恥ずかしくなった。

1時間半を通じて、その人の受け答えは極めて一本の筋が通っていた。
その思想に賛同するかどうかはともかく、この人は、自由と機会の平等を愛する人で、心から、本当に心から世界がそういう場所になってほしいって思っているんだな、と思った。

彼は話してみたらぜんぜん馬鹿じゃなかった。自分の行動一つ一つに、どういう批判が予想されるか、それがどういう人を傷つけうるか、世界の政治バランスにどういう影響を与えうるか、極めて精緻に把握していた。(考えてみればそりゃあそうだ。彼は結局のところ、某国の大統領だったわけだから。)
でも、批判や被害を受ける人のことを恐れて行動を起こさないでいたのでは、「国民の安全と未来を守る」という一番上位のミッションは達成されない。だから、その都度都度に、優先順位を設けて、ときには自国民の安全を、ときには世界の民主化を、ときには政治的な駆け引き(例:あの国の同盟がないとことが進まない、ここで野党のポイントを稼いでおかないと次の政策が通らない)を優先させて、一つ一つの決定をして、行動を起こした。
(そして、本人はそう話してなかったが、あの発言の荒さを見るに、勢いに任せた失言も多かったには違いない。)
「大統領は支持率のために仕事をするんじゃないんだよ。批判する人がいないというのは、本当に難しい選択をしていないというのと同値だ。」

そんな発言を感傷にひたりながら思い返しているのは、別に日本の今の政治がだめだめだからではない。
会社であってもNPOであっても学生サークルであっても、そういう一段高いミッションを共有して、一丸となって進むことがいかに難しいか、またそういう環境を作ることがいかにいかに大事かを身を以て実感することが身近に起きたからだ。

自由と機会の平等を愛するかの国の大統領は、事実周りのスタッフは、宗教も人種も関係なく、極めて公平に、尊厳を持って扱っているそうだ。
そもそも大統領なぞと会える機会が持てたのは、彼につきっきりで働いていた人がビジネススクールのクラスメートにいたからなのだが、その彼は違う宗教を持っていたけど、そこに対してなにか言われた事はただの一度もない、と話してくれた。
そんなクラスメートの彼に、「元大統領の周りで尊敬する人は?」と聞いたら、私の知らない政府高官の名前を挙げて、「その人は、周りで働くどんな人(ドライバーから大統領まで)に対しても、全く同じ態度で接するんだ。すごく尊敬できる人だったよ。」と教えてくれた。

きっとそういう雰囲気だったのだろう。あの大統領を囲むチームの中では、そういう公平さと自由さが大事だということが隅々まで共有されていたのだろう。

私の尊敬する友人は、その昔、仕事で大事なのは、究極的には「なにをするのか」ではなくて、「どうやるのか」なんだ、と話してくれた。
今なら、その意味が少しだけわかる気がする。

どうやってミッションを体現する組織を作るか。どうやって、ミッションが水や空気のように、みんなに当たり前に共有され、どんなに議論になっても「最後に大事なのはこれだよね。」と言葉に出さなくても共有できるものを持てるか。最後のところで、価値観を共有している、という絶対的な安心感があるからこその、歯に衣着せぬ発言ができる環境を整えるか。
結局、それは、「なにをミッションとしてかかげるか」を言葉にして説明したり、「○○をやってる組織です」「○○が仕事です」と言うよりも、実際になにを行動として示すかのかのほうが重要なのだろう。
なにをするかよりも、どうやるかのほうが重要なのだろう。

描きたい組織の未来を実現するために、今日、私はどんな行動をとるべきか、真剣に悩む。
なにをしたらいいかはぜんぜんわからないけど、小さな一歩を重ねていくしかないのだと思う。
ミッションが伝わる事を願って、コツコツやるしかないのだろう。

と書いたらちょっと元気が出た。
まずはみんなが仕事しやすくなるような情報共有ツールを探そう。あ、あと、ウェブページがさくさく作れる人も探さなくちゃ。(あ、そういう人絶賛大募集中です!!)





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人生の効率性

2009/10/06 Tue 23:43

ちょっと前にクラスの友人が、めちゃめちゃ早口なマクロのF教授と、ゆーっくりしゃべる統計のL教授をさして言った。
「Fは省エネじゃないよねー。どんなにたくさんしゃべっても1分あたりに吸収できる量は一緒なのに。」

なーるほど、言われてみれば、ほんとにその通りだ。
たくさんしゃべったって、伝わる量が増えるわけじゃないのに、と自分の行動を反省する。

思えば、人生ってぜんぶそうだ。
昔は効率よく勉強する方法があると思っていたし、それが「要領」なるものだと思ってたけど、学校を卒業してみてから、そうやって「要領よく」身につけたはずの知識はぜんぶどこかに吹き飛んでしまって、結局自分が苦労した分しか残ってない。

その道の権威の先生の講演で一生懸命メモをとったことは、脳みそのはずれのシナプスに保存されて、いつの間にか開けられなくなってしまい、ふっとした友人の一言が、こうしていつまでも頭を離れない。

昔、あけっぴろげに心を許せる友人たちと泊りがけの旅行に行って、夜遅くまで飲んでいた。
飲みながら、誰かがおかしな話を始めて、それがなぜだか無性におかしくて、久しぶりに我を忘れて笑った。(そう、たくさん笑っているように見えて、我を忘れて笑うことがいかに少ないことか。)
笑いながら、この瞬間のみんなをつなぐ光が、とてもきれいで、とてもせつなく見えて、その有限な時間を思ったら、突然悲しさがこみあげてきた。こっそり部屋を離れて、ひとしきり泣いた。
あのとき話していたことは、くだらなすぎて覚えてもいないけど、でも確かに、あの時、私は世界の本質に少しだけ近づいた気がしたのだ。無駄の中にこそ、光がある。不思議なものだ。

不器用で、我慢強くなく、つっぱしってばかりの私は、これからも省エネでは生きられないだろう。
(すでにいろいろなことに手を出しすぎて、収拾がついていない。)
だからこそ、勝間さんとは正反対の、非効率で無駄にあふれた生活をしたいな、と思う。

「役に立つ」話も、立たない話も、同じ重さで聞き取れるようになりたいと思う。
話を聞くのをやめてしまいたくなるような高慢ちきなC君の話も、話が堂々巡りでいつもわからなくなってしまっていたインドネシアの村人たちの話も、人格者のAさんの話を聞くのと同じ丁寧さで聞けたらいいなあ、と思う。

わからないことに対して、反射神経でぱっと近しい答えを出すことなく、「わからないなあ。」と言い続けられたらいいなあ、と思う。
沈黙に耐えられたらいいと思う。アウトプットが出なくてもあせらず待ちたいと思う。

物理学を志す友人が、PhDの年次が進むにつれて、読む論文の数が減ってきた、と言っていた。
昔はとにかくいっぱい読んでいないと不安だったけど、今は一つ読んで、わからないところがあると、わからないままにしておくことができるようになったそうだ。「わからない」ままに保存しておいたボールは、ある日ふっと理解が進んで、より深い懐に落ちる。だから、今は吸収する量がずっと減ったけど、一つ一つ深くわかるようになった、と。

別のPhDの友人に、PhDへの感慨を聞いたら、「世の中で、意味のある成果を出すことがいかに難しいかわかったこと」だと言った。
そのセリフの重みは、私には逆立ちしても出せないんだろうなあ、と思ったら、いままでクライアントさんたちに言ってきた数々の「重さのない発言」を思い出して、嫌気がさした。

こんなことを言ったら、身も蓋もないけれど、効率良くタスクをこなすことはできても、効率良く人生を生きることはできないんだ、と心から思った今日この頃。

・・・さて、さはさりながら有限な人生。どう生きようか。



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