続・世界中で働き口が減る時代
2011/11/15
前回の記事を書いてから「経済成長」は本当に「雇用喪失」につながるのか?むしろ「経済成長」=「雇用創出」ではないのか?という質問を複数の人から受けました。ソウシツなのか、ソウシュツなのか、私も気になっていたところ、つい先ほど面白い記事を見つけたのでご紹介します:
Tech Crunch: Is Technology destroying jobs?
もともと、経済成長理論は、「新しい産業が生まれ、生産性が上がる」→「消費が増える」&「生産性が上がったので、余った人がほかの仕事に就けるようになる(労働力が増える)」→「余った労働力が更に産業を創出し、更に経済が成長する」というサイクルが生まれることで、経済がどんどん成長する、というシナリオを前提に組まれています。
イギリスの産業革命中に起こったことはまさに上記のようなことです。
Tech Crunchの記事によると、イギリスでは最盛期に325万馬力(文字通り325万頭の馬!)の馬使いが雇われていたけど、それが産業革命で職が失われたそうです。
一方で、代わりに機械を使ってするような仕事=織物業や機械業が増え、農業など単純作業に従事しなければいけない人が減って、結果的に世界は生産性が高くなり豊かになった、それが20世紀の経済成長のおおまかなストーリーです。
一方で、インターネット革命が起こって広がった過去10年を見ると、アメリカでは年率2.5%の成長を遂げたものの、雇用は10年で1%減ったそうです。減った分は誤差としても経済成長が雇用創出につながっていないのは事実ですね。
それを著者はインターネット産業で必要としているスキルと職を失った人のスキルがマッチしないからだ、と説明します。事実、シリコンバレーの近くではいつもエンジニアが足りない、足りない、と言っているけれど、アメリカ全体では失業率が10%近くに達してますからね。納得がいきます。
この記事は、産業革命後に、多くの人が機械を(自分の仕事を奪う)敵としてではなく、ツールとして使う技を身につけたことで経済が成長したように、みんながインターネットをツールとして身につけることができれば、もっともっと多くの雇用を創出できるはずだ、という前向きなコメントで締めくくられています。
インターネットが普及してからまだ20年弱。
確かにイギリスの産業革命を想像すれば、まだまだ社会の構造調整が追いつかないのは当たり前なんだなあ、と今更ながら気づきました。
300万馬力の仕事を壊しつつも、3億人分、いや、30億人分の仕事を産業革命がもたらしたように、
インターネットも、本当の意味でツールとして使いこなせれば多くの雇用を生み出せる日が来るのかもしれない。
今は既存の産業を淘汰するアイディア(どんなビジネスでも新しいビジネスであるからには既存産業の非効率や問題点を解決していないと意味がないので、、、)しか思いつきませんが、そのアイディアが発展すれば、いつかはより多くの雇用が生み出される世界へ、より多くの人が安心して暮らせる世界へ、明日もあさっても幸せになれそうだと誰もが夢を持てる世界へつながっていけるのかもしれない、、、とそんな妄想をする今日この頃です。
Tech Crunch: Is Technology destroying jobs?
もともと、経済成長理論は、「新しい産業が生まれ、生産性が上がる」→「消費が増える」&「生産性が上がったので、余った人がほかの仕事に就けるようになる(労働力が増える)」→「余った労働力が更に産業を創出し、更に経済が成長する」というサイクルが生まれることで、経済がどんどん成長する、というシナリオを前提に組まれています。
イギリスの産業革命中に起こったことはまさに上記のようなことです。
Tech Crunchの記事によると、イギリスでは最盛期に325万馬力(文字通り325万頭の馬!)の馬使いが雇われていたけど、それが産業革命で職が失われたそうです。
一方で、代わりに機械を使ってするような仕事=織物業や機械業が増え、農業など単純作業に従事しなければいけない人が減って、結果的に世界は生産性が高くなり豊かになった、それが20世紀の経済成長のおおまかなストーリーです。
一方で、インターネット革命が起こって広がった過去10年を見ると、アメリカでは年率2.5%の成長を遂げたものの、雇用は10年で1%減ったそうです。減った分は誤差としても経済成長が雇用創出につながっていないのは事実ですね。
それを著者はインターネット産業で必要としているスキルと職を失った人のスキルがマッチしないからだ、と説明します。事実、シリコンバレーの近くではいつもエンジニアが足りない、足りない、と言っているけれど、アメリカ全体では失業率が10%近くに達してますからね。納得がいきます。
この記事は、産業革命後に、多くの人が機械を(自分の仕事を奪う)敵としてではなく、ツールとして使う技を身につけたことで経済が成長したように、みんながインターネットをツールとして身につけることができれば、もっともっと多くの雇用を創出できるはずだ、という前向きなコメントで締めくくられています。
インターネットが普及してからまだ20年弱。
確かにイギリスの産業革命を想像すれば、まだまだ社会の構造調整が追いつかないのは当たり前なんだなあ、と今更ながら気づきました。
300万馬力の仕事を壊しつつも、3億人分、いや、30億人分の仕事を産業革命がもたらしたように、
インターネットも、本当の意味でツールとして使いこなせれば多くの雇用を生み出せる日が来るのかもしれない。
今は既存の産業を淘汰するアイディア(どんなビジネスでも新しいビジネスであるからには既存産業の非効率や問題点を解決していないと意味がないので、、、)しか思いつきませんが、そのアイディアが発展すれば、いつかはより多くの雇用が生み出される世界へ、より多くの人が安心して暮らせる世界へ、明日もあさっても幸せになれそうだと誰もが夢を持てる世界へつながっていけるのかもしれない、、、とそんな妄想をする今日この頃です。
世界中で働き口が減る時代
2011/10/28
今日、交渉術のクラスで1980年代のGMの労使交渉のドキュメンタリーを見て、ふと感傷的な気分になった。
毎日、同じ職場に行って同じ仲間と、「おれも資本社会の歯車の一つだぜ」と言ったかどうかはわからないけど、生産ラインで働く時代。
組合に加盟し、経営陣と賃金を交渉しあっていた時代。
毎年毎年の年収が上がり続けることが保証されていた時代。
世界中で、一つの会社に何十年と勤めることが当たり前だった時代。
映画から30年たった2011年の今、もうこの時代は終わったんだ、となぜだかはっきりと実感した。
今学期、主に途上国での非正規雇用について教えるInformal Economyの授業をとっている。
途上国のGDPの実に3割強、雇用の数で言うと6割程度が、非正規雇用によって支えられている。
非正規雇用はどんな仕事かって?
産業そのものが非正規な「Informal Sector」の4大産業は、街頭行商人(Street Vender)、ゴミ拾い(Waste Picker - ペットボトルなどリサイクルできるゴミを拾ってきてリサイクル業者に引き渡すことでお金をもらう)、メイド(Domestic worker)、内職(Home-based worker)。
正規な会社で働く非正規雇用は、日雇い労働者や短期契約の労働者を指す。
たとえば成長著しいインドでは、雇用の9割がなんと非正規雇用者。
みんな明日の収入の予測がつかない毎日を送っている。
「途上国」とくくると遠い世界のことのように聞こえるけれど、正規雇用は世界中で減っている。
たとえば、欧州。反格差デモの記事を読んでいてびっくりしたのだが、スペインやギリシャでは若者の失業率が4割を超えている。

日本やアメリカでも、若者の失業率が全体の2倍程度だという現状は同じだ。
たとえば日本。1980年代のまさに労使交渉の映画の頃を境に、非正規雇用(パート、契約社員など)は増え続け、今や働いている人の3人に1人は非正規雇用だ。
グラフで見るとこんな感じ:

24歳までの若者の非正規雇用率は実に5割に達する。
ちなみに、引用もとのデータ図録の次のグラフはこう続く:

少子化にもなるよね、そりゃあ。
つい先日、岡田斗司夫さんが同志社大学で、「私たちは生涯、働かないかもしれない」と題した講演をしていたらしい。概要を読んで、そうだよなあ、そういう時代になったよなあ、と思った。同時に、いささか未来が不安になった。
世界中で正規雇用が減る。いや非正規を含めても働き口が減る。これはたぶん構造的に避けられないことだ。
なぜなら、経済活動そのものが、「生産性を上げること」を目指しているから。
私たちは雇われて、生産性を更に高める機械を作る。
工場に出入りしてより効率的に生産するやり方を考える。
より少ない人数でより多くのものを作れるやり方を考え、より多くの「付加価値」を生み出そうとする。
新しいビジネスを生み出そうとするときだってそうだ。
新規ビジネスは、ほぼすべからく、既存産業を壊して、その産業からシェアを奪うことによって成長する。
別に産業革命の頃もそうだったし、ネットビジネスだってその性質は何ら変わらない。
もちろん自分のビジネスを通じて新規雇用を生み出したいと思うし、生み出すけれども、その新しい産業の「生産性」が高い以上、やっぱりより少ない雇用でいままで以上の価値を生み出している、ということになる。
矛盾だ。大いに矛盾だ。
もんもんとした悩みを上記のinformal economyの先生にぶつけたら、「世界が生産性を上げ続けないといけない、利益は最大化しないといけない」というパラダイムを転換しないと世界がもたない。」と、多少震えた声で答えが返ってきた。
なんだかんだと資本主義社会のロジックが好きな私には、先生の言うパラダイムシフトはもうしばらくは図れないような気がする。効率の悪い会社を見たら、やっぱり「生産性向上を図りましょう」と言うだろうし、新しいビジネスを考えるなら、やっぱり「既得権益は壊しましょう」と言うだろうと思う。
でも、それでも、あんな労使交渉が成立していた時代のドキュメンタリーを見てしまうと、少しだけあの時代がうらやましくなるのだ。
あーあ、天災は続くし、金融危機は長引くし、今の世界は本当に難しい。
毎日、同じ職場に行って同じ仲間と、「おれも資本社会の歯車の一つだぜ」と言ったかどうかはわからないけど、生産ラインで働く時代。
組合に加盟し、経営陣と賃金を交渉しあっていた時代。
毎年毎年の年収が上がり続けることが保証されていた時代。
世界中で、一つの会社に何十年と勤めることが当たり前だった時代。
映画から30年たった2011年の今、もうこの時代は終わったんだ、となぜだかはっきりと実感した。
今学期、主に途上国での非正規雇用について教えるInformal Economyの授業をとっている。
途上国のGDPの実に3割強、雇用の数で言うと6割程度が、非正規雇用によって支えられている。
非正規雇用はどんな仕事かって?
産業そのものが非正規な「Informal Sector」の4大産業は、街頭行商人(Street Vender)、ゴミ拾い(Waste Picker - ペットボトルなどリサイクルできるゴミを拾ってきてリサイクル業者に引き渡すことでお金をもらう)、メイド(Domestic worker)、内職(Home-based worker)。
正規な会社で働く非正規雇用は、日雇い労働者や短期契約の労働者を指す。
たとえば成長著しいインドでは、雇用の9割がなんと非正規雇用者。
みんな明日の収入の予測がつかない毎日を送っている。
「途上国」とくくると遠い世界のことのように聞こえるけれど、正規雇用は世界中で減っている。
たとえば、欧州。反格差デモの記事を読んでいてびっくりしたのだが、スペインやギリシャでは若者の失業率が4割を超えている。

日本やアメリカでも、若者の失業率が全体の2倍程度だという現状は同じだ。
たとえば日本。1980年代のまさに労使交渉の映画の頃を境に、非正規雇用(パート、契約社員など)は増え続け、今や働いている人の3人に1人は非正規雇用だ。
グラフで見るとこんな感じ:

24歳までの若者の非正規雇用率は実に5割に達する。
ちなみに、引用もとのデータ図録の次のグラフはこう続く:

少子化にもなるよね、そりゃあ。
つい先日、岡田斗司夫さんが同志社大学で、「私たちは生涯、働かないかもしれない」と題した講演をしていたらしい。概要を読んで、そうだよなあ、そういう時代になったよなあ、と思った。同時に、いささか未来が不安になった。
世界中で正規雇用が減る。いや非正規を含めても働き口が減る。これはたぶん構造的に避けられないことだ。
なぜなら、経済活動そのものが、「生産性を上げること」を目指しているから。
私たちは雇われて、生産性を更に高める機械を作る。
工場に出入りしてより効率的に生産するやり方を考える。
より少ない人数でより多くのものを作れるやり方を考え、より多くの「付加価値」を生み出そうとする。
新しいビジネスを生み出そうとするときだってそうだ。
新規ビジネスは、ほぼすべからく、既存産業を壊して、その産業からシェアを奪うことによって成長する。
別に産業革命の頃もそうだったし、ネットビジネスだってその性質は何ら変わらない。
もちろん自分のビジネスを通じて新規雇用を生み出したいと思うし、生み出すけれども、その新しい産業の「生産性」が高い以上、やっぱりより少ない雇用でいままで以上の価値を生み出している、ということになる。
矛盾だ。大いに矛盾だ。
もんもんとした悩みを上記のinformal economyの先生にぶつけたら、「世界が生産性を上げ続けないといけない、利益は最大化しないといけない」というパラダイムを転換しないと世界がもたない。」と、多少震えた声で答えが返ってきた。
なんだかんだと資本主義社会のロジックが好きな私には、先生の言うパラダイムシフトはもうしばらくは図れないような気がする。効率の悪い会社を見たら、やっぱり「生産性向上を図りましょう」と言うだろうし、新しいビジネスを考えるなら、やっぱり「既得権益は壊しましょう」と言うだろうと思う。
でも、それでも、あんな労使交渉が成立していた時代のドキュメンタリーを見てしまうと、少しだけあの時代がうらやましくなるのだ。
あーあ、天災は続くし、金融危機は長引くし、今の世界は本当に難しい。
車いすユーザから始まる日本発の次世代パーソナルモビリティ「WHILL」
2011/10/17
ロジックを重ねて言葉を尽くしてどんなに構想を説明しても、
グラフやポンチ絵いっぱいのスライドを見せても、伝わらなかったことが、
プロダクトが出来た瞬間に、一言の説明もなしに伝わることが、これまで何度あっただろう。
そのたびに、マーケティング担当の私は、「くやしいなあ。」と思うのと同時に、
そのプロダクトの持つ圧倒的な力と魅力を目の前にして、無性に幸せな気分になるのだ。
ああ、この子を世の中に届けられるんだ、と。
The product speaks for itself.
そんな素敵なプロダクトがSee-D Contestに参加したチームの一つから生まれました。

プロダクト概要:
CampFire (動画が見られます!)
プロジェクト概要説明
プロダクトホームページ
このwhill、コンセプトモデルが12月に開催される東京モーターショーにて発表されます。
ちなみに10月20日までに申し込むと、一般公開に先がけて無料で東京モーターショーを見学できる特別見学日があるそうな。(車いすユーザー向け。申込はこちら)
車いすを使っている人達はこれを見たらどう思うんだろう、と気になって仕方が無い今日この頃。
グラフやポンチ絵いっぱいのスライドを見せても、伝わらなかったことが、
プロダクトが出来た瞬間に、一言の説明もなしに伝わることが、これまで何度あっただろう。
そのたびに、マーケティング担当の私は、「くやしいなあ。」と思うのと同時に、
そのプロダクトの持つ圧倒的な力と魅力を目の前にして、無性に幸せな気分になるのだ。
ああ、この子を世の中に届けられるんだ、と。
The product speaks for itself.
そんな素敵なプロダクトがSee-D Contestに参加したチームの一つから生まれました。

プロダクト概要:
CampFire (動画が見られます!)
プロジェクト概要説明
プロダクトホームページ
このwhill、コンセプトモデルが12月に開催される東京モーターショーにて発表されます。
ちなみに10月20日までに申し込むと、一般公開に先がけて無料で東京モーターショーを見学できる特別見学日があるそうな。(車いすユーザー向け。申込はこちら)
車いすを使っている人達はこれを見たらどう思うんだろう、と気になって仕方が無い今日この頃。
ブータンのお姫様
2011/10/05
ケネディの同級生にブータンから来ている人がいる。
ブータンに観光で行ったことがあるんだ、と話したらそれはそれは喜んでくれて、それ以来、よく話をしている。
毎回とてもシンプルな話しかしないが、その会話の内容が心温まるのだ。
例えば夏にDCでインターンした時の話。
「DCのバスに乗ってると、誰も目を合わせてくれないんだ。なんだか話しかけるのが変だって言われてるみたいに感じたよ。あんなに大きな街で、たくさん人がいて、それなのに週末に寂しさを感じちゃうんだ。だから夏の終わりに世界銀行で働かないか、って聞かれた時、ここの街には住めないなあ、と思って断ったんだ。」
そうだよね。
ブータンではみんなが目を合わせてにこにこしてくれたっけ。
例えば貧困の話。
「MPA/IDでは、インドで貧困層のターゲティングをするためのサンプル抽出の手法を習ったりするけど、ブータンでは使えないなあって思ったよ。ブータンにいた時、社会保障の仕事をしていたけれど、『貧困層』に属する人達はみんな顔と名前がわかってたから。村を一つ一つ回って訪問したりするからね。」
そうそう、ブータンの人口は70万人だった。
日本でも人口70万人の市町村では、民生委員が家を回ったりするんだろうな。きっとそうなんだろうな。
例えば人の気持ちをわかるという話。
「ある時、日本のある大臣が、娘にブータンでの暮らしを体験させたいって言って、大学卒業したての娘さんをブータンに送ってきたんだ。その子は村に3週間暮らしてみて、そろそろ村の様子がわかったからティンプー(首都)に移動したいってコーディネートをしてくれた人にお願いした。でも、その人は断ったんだ。『もう村の人の気持ちはだいたいわかりました。』というその子に、『あなたはまだなにもわかってない』と言って。
『あなたにはお願いをすれば村を出られるという選択肢がある。村の普通の人にもそういう選択肢があると思う?選択肢がない状態で暮らしてみて、初めて村の人の気持ちがわかると言えるんじゃない?』と。
その子は泣きながら村に戻ったよ。そしてそこで3ヶ月暮らした。村の人も彼女がずっととどまるのを見て、この子はなんだか違うぞ、と思って、お客様扱いをしなくなったんだ。3ヶ月過ぎたら、『村を出たくない。日本に戻りたくない』って言ってたよ。笑」
ああ、脱帽。
そんな彼は、今週末からブータンに帰ることをとても楽しみにしている。
なぜ今、帰るのか。それは来週、ブータン国王の結婚式があるから。(なんと日本語でもニュースが!)
友人が説明してくれたブータン国王の結婚発表の演説の内容がことさら素敵だったので、ここで引用。(だいぶ意訳です。インドの新聞記事と友人の話をベースにしてるので一部不正確かもしれません。あしからず。。。)
「国民の皆さんは王妃に対していろいろな素養を求めるのでしょう。格別に美しいこと、聡明であること、優美であること。。。私には皆さんにとって彼女がどう映るかわかりません。」
「でも、王妃にとって、一番大切なことは、いつ何時でも善き人(good human being)であることだと思うのです。王妃として、どんな時も揺るがずに国民と国のために尽くす暖かい心を持っていることだと思うのです。ほかの素養は、時間と経験と、適切な努力をもってすれば、自ずと身に付いてくるでしょう。・・・私はそんな女性を見つけました。まだ若いですがとても暖かくて慈愛に満ちた心を持った人です。温かい心と年を重ねることで身に付く叡智でもって、彼女は良い国の奉仕者(servant to the nation)となることでしょう。」
こういう人を国王を持てるブータン人は本当に幸せだとつくづく思った。
ブータンでの結婚式が素敵なものとなりますように。
ブータンに観光で行ったことがあるんだ、と話したらそれはそれは喜んでくれて、それ以来、よく話をしている。
毎回とてもシンプルな話しかしないが、その会話の内容が心温まるのだ。
例えば夏にDCでインターンした時の話。
「DCのバスに乗ってると、誰も目を合わせてくれないんだ。なんだか話しかけるのが変だって言われてるみたいに感じたよ。あんなに大きな街で、たくさん人がいて、それなのに週末に寂しさを感じちゃうんだ。だから夏の終わりに世界銀行で働かないか、って聞かれた時、ここの街には住めないなあ、と思って断ったんだ。」
そうだよね。
ブータンではみんなが目を合わせてにこにこしてくれたっけ。
例えば貧困の話。
「MPA/IDでは、インドで貧困層のターゲティングをするためのサンプル抽出の手法を習ったりするけど、ブータンでは使えないなあって思ったよ。ブータンにいた時、社会保障の仕事をしていたけれど、『貧困層』に属する人達はみんな顔と名前がわかってたから。村を一つ一つ回って訪問したりするからね。」
そうそう、ブータンの人口は70万人だった。
日本でも人口70万人の市町村では、民生委員が家を回ったりするんだろうな。きっとそうなんだろうな。
例えば人の気持ちをわかるという話。
「ある時、日本のある大臣が、娘にブータンでの暮らしを体験させたいって言って、大学卒業したての娘さんをブータンに送ってきたんだ。その子は村に3週間暮らしてみて、そろそろ村の様子がわかったからティンプー(首都)に移動したいってコーディネートをしてくれた人にお願いした。でも、その人は断ったんだ。『もう村の人の気持ちはだいたいわかりました。』というその子に、『あなたはまだなにもわかってない』と言って。
『あなたにはお願いをすれば村を出られるという選択肢がある。村の普通の人にもそういう選択肢があると思う?選択肢がない状態で暮らしてみて、初めて村の人の気持ちがわかると言えるんじゃない?』と。
その子は泣きながら村に戻ったよ。そしてそこで3ヶ月暮らした。村の人も彼女がずっととどまるのを見て、この子はなんだか違うぞ、と思って、お客様扱いをしなくなったんだ。3ヶ月過ぎたら、『村を出たくない。日本に戻りたくない』って言ってたよ。笑」
ああ、脱帽。
そんな彼は、今週末からブータンに帰ることをとても楽しみにしている。
なぜ今、帰るのか。それは来週、ブータン国王の結婚式があるから。(なんと日本語でもニュースが!)
友人が説明してくれたブータン国王の結婚発表の演説の内容がことさら素敵だったので、ここで引用。(だいぶ意訳です。インドの新聞記事と友人の話をベースにしてるので一部不正確かもしれません。あしからず。。。)
「国民の皆さんは王妃に対していろいろな素養を求めるのでしょう。格別に美しいこと、聡明であること、優美であること。。。私には皆さんにとって彼女がどう映るかわかりません。」
「でも、王妃にとって、一番大切なことは、いつ何時でも善き人(good human being)であることだと思うのです。王妃として、どんな時も揺るがずに国民と国のために尽くす暖かい心を持っていることだと思うのです。ほかの素養は、時間と経験と、適切な努力をもってすれば、自ずと身に付いてくるでしょう。・・・私はそんな女性を見つけました。まだ若いですがとても暖かくて慈愛に満ちた心を持った人です。温かい心と年を重ねることで身に付く叡智でもって、彼女は良い国の奉仕者(servant to the nation)となることでしょう。」
こういう人を国王を持てるブータン人は本当に幸せだとつくづく思った。
ブータンでの結婚式が素敵なものとなりますように。
なぜ起業はトレンドの波に乗る必要があって、一方で世界を変えうるのか?
2011/10/01
おととしの秋、ボストンにいた頃、携帯電話が勢いよく普及した途上国に、雨後のタケノコのように生まれでていた様々な携帯ビジネスを見て、私はやりたくない、と思っていた。
「あれだけたくさんのビジネスが湧き出てる状態を見ると、もう問題が解決されるのは時間の問題で、私が解かなくてもいいんじゃないかと思ってしまうんです。」と周りには説明していた。
2年経って、それは間違ってた、大いに間違ってた、と思う今日この頃、起業の経験はないけれども、スタートアップについての所感を書いてみようと思う。
MITでおこなわれたStartup BootcampでQuoraの共同創業者のCharlie Cheeverがスタートアップは波乗りのようだ、と説明していた:

波に乗っているのがアントレプレナー、それを支える大きな大きな波が、世界の大きなトレンドだ。
トレンドは、「中国市場が伸びてる」といったマクロ経済的なものもあれば、「スマートフォンが普及している」といったプラットフォーム的なもの、技術的なロードマップもあれば、「人は個人情報をネットに公開することをいとわなくなりつつある」といった人の感覚・流行といったものも含む。
スタートアップは、そういう大きなトレンドに乗らないと、オペレーションを軌道に乗せていくことができない、つまりサーフィンできない。
そんなわけで、起業家に投資するベンチャーキャピタリストたちも軒並み「Market first, team second, idea third」という。(そういう人ばかりではないけど、そういう投資家が大半だという印象。)
まずは波を当てる。次にうまい波乗りを当てる。最後に今この瞬間の波の乗り具合を観察する、といったところか。
2年前の私はまさにその「波乗り」になることになんとなく反発を覚えていた。あんなにたくさんiPhoneアプリがあるのに、私もそのアプリを作る一人になりたくない。もう未来が予測できる世界で、お金稼ぎをするために人と争ってシェアとかとりたくない、と。
でも、この2年間、自分なりに考えたり試してみて、最近わかったことがある。本当にうまい波乗りは既存の波が作り出した利益を吸い取っておしまいなのではない。本当の波乗りは、今の波に乗り、それを動かして次の波を作るのだ。
最近、スタートアップは、水が水路に沿って流れているところに、穴を開けるような試みなのかな、と感じ始めている。開けた穴に向かって水の流れが来ていた場合、その穴から新たな水の流れができる。(トレンドを読み間違えて上流に穴を開けると、水は流れてこない。)その流れに水車をとりつけて、その水車から得た動力がスタートアップの始めの資金源になる。
だから、トレンドはよくよく読まないといけない。どこに向かって水が流れているか。どこに大きな流れがありそうか。なにをやれば、ユーザーはそちらに向かって流れるのか。
大きな潮流がどわーっとやってくるところにうまく穴をあけられた場合、そこを通して流れた水は新たな世界を形作る。次から次へと押し寄せてくる水は自分が元々想定していたよりもはるかに速いスビードで穴をこじあけ、いつのまにか潮流が、元々想定していたところから自分が穴を開けた方向へと変わっている。
そう、世界が変わっているのだ。
陳腐な例だがGoogleやFacebookは、始めはただトレンドに乗っていたものが、今では明らかに世界を変えている。(Googleは10番目くらいに出てきた検索エンジンだったし、Facebookの前にもMyspaceやFriendstarがあった。どれも出てきた当初は、「もういろんな人が取り組んでる課題にあえて取り組んで、お金稼ぎしてどうするの?」と2年前の私なら思っていたような状態だったのだろう。)
思いと志で持って始めるビジネスも、別にトレンドを無視してるわけじゃないんじゃないかな、と思う。
お手伝いしているコペルニクは、あくまでも途上国にテクノロジーを届けることで彼らの生活の質の向上を図るのがミッションの非営利団体だが、あのビジネスモデルの前提にあるのは、Crowdfundingの市場が大幅に伸びているしこれからも伸びる、というトレンドだ。その裏には、人がなににお金を払うのかという価値観の変化やネット決済の発達や、シェアをするという文化や、Kiva Foundationなどの先人達がすでに穴を開けて水の流れを変えてきた軌跡があって、初めて今、コペルニクが機能出来る環境が整っている。
私の友人は登山家で、山をこよなく愛している。ビジネスセンスも持ち合わせた希有な彼は世の中の人がもっと登山に親しめるように、と山ビジネスを始めており、最近は登山道具のレンタル事業に力を入れている。登山道具のレンタルをするのに、iPhoneアプリをダウンロードする必要はないし、Facebookでいいね!をクリックする必要もないが、このモデルが成り立つ前提に、人々の中で「ものは所有せずに必要な時に借りて来ればいいじゃない?シェアすればいいんじゃない?」という感覚が広がりつつある、というトレンドがあるのは否めないのではないかな、と思う。
(ちなみにそんな友人は10月9日の情熱大陸に出演します。日本にいる人はぜひチェックしてみてください!)
コペルニクも山ビジネスも、アフリカにかけらも興味の無い人を変えたり、山を見るだけでも嫌という人を山好きに変えるということはできないだろう。でも、元から興味はあったけど手が出しづらかった、という人が、開発の世界や山の世界に入ってくる障壁を下げることはできる。
いままでは軽装で行ける山だけに行ってた人が、道具をレンタルできることになって、少しだけ難しい山に挑戦しようという気になったとしよう。その人は山の頂上に立っていままで得られなかった幸せを得るかもしれない。もっと山に登りたいと思うかもしれない。帰ったら友達に今度一緒に登ろうよ、道具はレンタルできるから大丈夫だよ、と誘っているかもしれない。
万が一そういうことが起きたら、そしてそれが少し大きな規模で起きたとしたら、その時点で、世界はそのビジネスがなかった世界とは違うものになっているのだ。
そう、世界が変わっているのだ。
軒並み全部が同じように見えるiPhoneアプリも、密やかに次のApple、次のFacebookを狙って起業してるんじゃないか、と最近思うようになった。今は起こっているトレンドを追うしか無い。世界の数億人の人が毎日Facebookにログインする行為や、iPhoneで暇つぶしをする行為に乗っかるしか無い。
でも、彼らは、おそらく私たちユーザーが考えているよりも遥かに深く、ユーザーの一挙手一投足を考え、観察し、「どうしたらこのユーザーがAをやる障壁を下げることができるのかな?そしてAをやってくれるのかな?」と24時間考え続けている。そして私たちは、iPhoneアプリ便利だな、と思いながら何気なく使っているうちに、いつの間にか自分の生活にとって「A」を行うことが一部となって、Aがなかった世界とは違う世界にたどり着いてしまっているのだ。
そう、世界が変わってしまっているのだ。
スタートアップの真意に気づいた今、私は今までと全く違った目で雨後のタケノコのようにシリコンバレーで湧き出ているソーシャルアプリの会社たちを見ている。
シリコンバレー在住の起業家の友人が、「周りの人が優秀すぎて、この人達に任せたたら世界が自ずと良い方向に向かうんじゃないかって思うことがあるんです。そして、時々ふっと自分がやらなくてもいいや、って社会のフリーライダーになってしまいそうで怖いんです。」ともらしていた。
社会のフリーライダーになることをそもそも前提としていないその生き方が、私はむしろショックだった。
私は、今、どれだけ真剣に消費者が本当に欲しているものに向き合えているのだろうか?
どれだけ心から、今の延長線上にはない未来を描きたいと願い、そのために動けてるのだろうか?
「あれだけたくさんのビジネスが湧き出てる状態を見ると、もう問題が解決されるのは時間の問題で、私が解かなくてもいいんじゃないかと思ってしまうんです。」と周りには説明していた。
2年経って、それは間違ってた、大いに間違ってた、と思う今日この頃、起業の経験はないけれども、スタートアップについての所感を書いてみようと思う。
MITでおこなわれたStartup BootcampでQuoraの共同創業者のCharlie Cheeverがスタートアップは波乗りのようだ、と説明していた:

波に乗っているのがアントレプレナー、それを支える大きな大きな波が、世界の大きなトレンドだ。
トレンドは、「中国市場が伸びてる」といったマクロ経済的なものもあれば、「スマートフォンが普及している」といったプラットフォーム的なもの、技術的なロードマップもあれば、「人は個人情報をネットに公開することをいとわなくなりつつある」といった人の感覚・流行といったものも含む。
スタートアップは、そういう大きなトレンドに乗らないと、オペレーションを軌道に乗せていくことができない、つまりサーフィンできない。
そんなわけで、起業家に投資するベンチャーキャピタリストたちも軒並み「Market first, team second, idea third」という。(そういう人ばかりではないけど、そういう投資家が大半だという印象。)
まずは波を当てる。次にうまい波乗りを当てる。最後に今この瞬間の波の乗り具合を観察する、といったところか。
2年前の私はまさにその「波乗り」になることになんとなく反発を覚えていた。あんなにたくさんiPhoneアプリがあるのに、私もそのアプリを作る一人になりたくない。もう未来が予測できる世界で、お金稼ぎをするために人と争ってシェアとかとりたくない、と。
でも、この2年間、自分なりに考えたり試してみて、最近わかったことがある。本当にうまい波乗りは既存の波が作り出した利益を吸い取っておしまいなのではない。本当の波乗りは、今の波に乗り、それを動かして次の波を作るのだ。
最近、スタートアップは、水が水路に沿って流れているところに、穴を開けるような試みなのかな、と感じ始めている。開けた穴に向かって水の流れが来ていた場合、その穴から新たな水の流れができる。(トレンドを読み間違えて上流に穴を開けると、水は流れてこない。)その流れに水車をとりつけて、その水車から得た動力がスタートアップの始めの資金源になる。
だから、トレンドはよくよく読まないといけない。どこに向かって水が流れているか。どこに大きな流れがありそうか。なにをやれば、ユーザーはそちらに向かって流れるのか。
大きな潮流がどわーっとやってくるところにうまく穴をあけられた場合、そこを通して流れた水は新たな世界を形作る。次から次へと押し寄せてくる水は自分が元々想定していたよりもはるかに速いスビードで穴をこじあけ、いつのまにか潮流が、元々想定していたところから自分が穴を開けた方向へと変わっている。
そう、世界が変わっているのだ。
陳腐な例だがGoogleやFacebookは、始めはただトレンドに乗っていたものが、今では明らかに世界を変えている。(Googleは10番目くらいに出てきた検索エンジンだったし、Facebookの前にもMyspaceやFriendstarがあった。どれも出てきた当初は、「もういろんな人が取り組んでる課題にあえて取り組んで、お金稼ぎしてどうするの?」と2年前の私なら思っていたような状態だったのだろう。)
思いと志で持って始めるビジネスも、別にトレンドを無視してるわけじゃないんじゃないかな、と思う。
お手伝いしているコペルニクは、あくまでも途上国にテクノロジーを届けることで彼らの生活の質の向上を図るのがミッションの非営利団体だが、あのビジネスモデルの前提にあるのは、Crowdfundingの市場が大幅に伸びているしこれからも伸びる、というトレンドだ。その裏には、人がなににお金を払うのかという価値観の変化やネット決済の発達や、シェアをするという文化や、Kiva Foundationなどの先人達がすでに穴を開けて水の流れを変えてきた軌跡があって、初めて今、コペルニクが機能出来る環境が整っている。
私の友人は登山家で、山をこよなく愛している。ビジネスセンスも持ち合わせた希有な彼は世の中の人がもっと登山に親しめるように、と山ビジネスを始めており、最近は登山道具のレンタル事業に力を入れている。登山道具のレンタルをするのに、iPhoneアプリをダウンロードする必要はないし、Facebookでいいね!をクリックする必要もないが、このモデルが成り立つ前提に、人々の中で「ものは所有せずに必要な時に借りて来ればいいじゃない?シェアすればいいんじゃない?」という感覚が広がりつつある、というトレンドがあるのは否めないのではないかな、と思う。
(ちなみにそんな友人は10月9日の情熱大陸に出演します。日本にいる人はぜひチェックしてみてください!)
コペルニクも山ビジネスも、アフリカにかけらも興味の無い人を変えたり、山を見るだけでも嫌という人を山好きに変えるということはできないだろう。でも、元から興味はあったけど手が出しづらかった、という人が、開発の世界や山の世界に入ってくる障壁を下げることはできる。
いままでは軽装で行ける山だけに行ってた人が、道具をレンタルできることになって、少しだけ難しい山に挑戦しようという気になったとしよう。その人は山の頂上に立っていままで得られなかった幸せを得るかもしれない。もっと山に登りたいと思うかもしれない。帰ったら友達に今度一緒に登ろうよ、道具はレンタルできるから大丈夫だよ、と誘っているかもしれない。
万が一そういうことが起きたら、そしてそれが少し大きな規模で起きたとしたら、その時点で、世界はそのビジネスがなかった世界とは違うものになっているのだ。
そう、世界が変わっているのだ。
軒並み全部が同じように見えるiPhoneアプリも、密やかに次のApple、次のFacebookを狙って起業してるんじゃないか、と最近思うようになった。今は起こっているトレンドを追うしか無い。世界の数億人の人が毎日Facebookにログインする行為や、iPhoneで暇つぶしをする行為に乗っかるしか無い。
でも、彼らは、おそらく私たちユーザーが考えているよりも遥かに深く、ユーザーの一挙手一投足を考え、観察し、「どうしたらこのユーザーがAをやる障壁を下げることができるのかな?そしてAをやってくれるのかな?」と24時間考え続けている。そして私たちは、iPhoneアプリ便利だな、と思いながら何気なく使っているうちに、いつの間にか自分の生活にとって「A」を行うことが一部となって、Aがなかった世界とは違う世界にたどり着いてしまっているのだ。
そう、世界が変わってしまっているのだ。
スタートアップの真意に気づいた今、私は今までと全く違った目で雨後のタケノコのようにシリコンバレーで湧き出ているソーシャルアプリの会社たちを見ている。
シリコンバレー在住の起業家の友人が、「周りの人が優秀すぎて、この人達に任せたたら世界が自ずと良い方向に向かうんじゃないかって思うことがあるんです。そして、時々ふっと自分がやらなくてもいいや、って社会のフリーライダーになってしまいそうで怖いんです。」ともらしていた。
社会のフリーライダーになることをそもそも前提としていないその生き方が、私はむしろショックだった。
私は、今、どれだけ真剣に消費者が本当に欲しているものに向き合えているのだろうか?
どれだけ心から、今の延長線上にはない未来を描きたいと願い、そのために動けてるのだろうか?


